夫の死
ベティ・シマブクロ

1987年に私と夫のマサオは、ハワイでDivine Motherにお会いしました。初めての面会の後、毎月最初の日曜日に、Divine Motherのお宅へ瞑想をしに行きました。私たちはマントラを頂き、とても恵まれていました。Divine Motherは、皆のために深い愛情と慈悲の気持ちをお持ちだったのです。私たちはDivine Motherと瞑想することを楽しみにしていました。Divine Motherは、光を受け取るために、私たちは「源」につながらなければならないと説明されました。そして、マンゴーの木のように謙虚でいなければならないと言われました。Divine Motherは、よく日本語の言葉「すなお」(つまり謙虚)をお使いになりました。
マサオが歩くのが難しくなり始めた時、1991年11月11日に、私たちはカリフォルニアに引っ越しました。私たちの4人の子供とその孫たち全員がロサンゼルスに住んでいて、彼らの近くに住みたかったのです。Divine Motherは、ロサンゼルスにお見えになるたびに私たちの家にお越しになって、一緒に瞑想してくださいました。Divine Motherは私たちを大変愛していらっしゃいました。Divine Motherオードリーも、ロサンゼルスにお見えになったとき、私とマサオと一緒に瞑想するために、私たちの家にお越しになりました。Divine Motherは「心配しないで。マサオをDivine Motherに任せなさい。そうすればDivine Motherがマサオの面倒を見ますよ」といつもおっしゃいました。私たちはこのように個人的な配慮を頂いて、本当に恵まれていました。マサオは5年間車椅子生活を余儀なくされました。私の4人の子供たちとその配偶者たちは、全員私たちと同様にこの道を歩んでおり、マサオの世話をする私を、愛情を持ってよく手伝ってくれました。マサオは家族とスピリチュアル・ファミリーからたくさんの愛情を受けました。
1996年12月に私は膝の手術をして、ダニエル・フリーマン病院に入院しました。その同じ週にマサオは病気になり、ガーディナ・コミュニティー病院に入院しました。彼は肺炎にかかっていて、私の医者は、私にどんな感染病にもかかってほしくなかったため、私にマサオの見舞いに行くのを望みませんでした。私が退院したら、そして、マサオの体調がもう少し良くなれば、すぐに見舞いに行くつもりでした。残念なことに1997年1月7日にマサオは突然亡くなりました。私たちは56年間も結婚していて、最後の別れを言う機会がなかったこと、そして、彼が息を引き取った時、そばにいられなかったことが大変残念で、悲しい思いをしました。彼が亡くなった時、せめて子供たちが彼と一緒にいたことを感謝いたしました。
1997年5月、私は家族の墓の世話をするためにハワイへ行かなければなりませんでした。私はこのことをきちんとできるかが大変心配でした。Divine Motherオードリーは、こう言われました。「心配しないで、Divine Motherがあなたを導いてくださるから」 私がハワイに滞在中、全てがよどみなく流れました。Divine Motherオードリーは確かに、新しいお墓と区画に関して、私を導いてくださいました。私は全てがどんなにスムーズに進んだかが信じられませんでした。
マサオの死以来、Divine Motherオードリーは、マサオが息を引き取った時に一緒にいられなかったことへの悲しみと罪悪感を、手放すように助けてくださいました。私は毎日生きていることを感謝し、人生を楽しんでいます。私は料理、裁縫、ガーデニング、運動のための朝の散歩、そして、スピリチュアル・ファミリーとの瞑想に参加することを楽しんでいます。私の子供たち、その配偶者、スピリチュアル・ファミリー、そして友人たちは、大変親切で私に愛情をかけてくれます。
それにもまして、Divine Motherオードリーは、私と子供たち、エミー、ジャン、レスリー、デール、それに孫たちにたくさんの愛と思いやり、また力添えを下さったので、私はとても幸せで穏やかな気持ちです。私たちの家族が受けた全ての恵みに対して、神様を賛美いたします。
マサオが歩くのが難しくなり始めた時、1991年11月11日に、私たちはカリフォルニアに引っ越しました。私たちの4人の子供とその孫たち全員がロサンゼルスに住んでいて、彼らの近くに住みたかったのです。Divine Motherは、ロサンゼルスにお見えになるたびに私たちの家にお越しになって、一緒に瞑想してくださいました。Divine Motherは私たちを大変愛していらっしゃいました。Divine Motherオードリーも、ロサンゼルスにお見えになったとき、私とマサオと一緒に瞑想するために、私たちの家にお越しになりました。Divine Motherは「心配しないで。マサオをDivine Motherに任せなさい。そうすればDivine Motherがマサオの面倒を見ますよ」といつもおっしゃいました。私たちはこのように個人的な配慮を頂いて、本当に恵まれていました。マサオは5年間車椅子生活を余儀なくされました。私の4人の子供たちとその配偶者たちは、全員私たちと同様にこの道を歩んでおり、マサオの世話をする私を、愛情を持ってよく手伝ってくれました。マサオは家族とスピリチュアル・ファミリーからたくさんの愛情を受けました。
1996年12月に私は膝の手術をして、ダニエル・フリーマン病院に入院しました。その同じ週にマサオは病気になり、ガーディナ・コミュニティー病院に入院しました。彼は肺炎にかかっていて、私の医者は、私にどんな感染病にもかかってほしくなかったため、私にマサオの見舞いに行くのを望みませんでした。私が退院したら、そして、マサオの体調がもう少し良くなれば、すぐに見舞いに行くつもりでした。残念なことに1997年1月7日にマサオは突然亡くなりました。私たちは56年間も結婚していて、最後の別れを言う機会がなかったこと、そして、彼が息を引き取った時、そばにいられなかったことが大変残念で、悲しい思いをしました。彼が亡くなった時、せめて子供たちが彼と一緒にいたことを感謝いたしました。
1997年5月、私は家族の墓の世話をするためにハワイへ行かなければなりませんでした。私はこのことをきちんとできるかが大変心配でした。Divine Motherオードリーは、こう言われました。「心配しないで、Divine Motherがあなたを導いてくださるから」 私がハワイに滞在中、全てがよどみなく流れました。Divine Motherオードリーは確かに、新しいお墓と区画に関して、私を導いてくださいました。私は全てがどんなにスムーズに進んだかが信じられませんでした。
マサオの死以来、Divine Motherオードリーは、マサオが息を引き取った時に一緒にいられなかったことへの悲しみと罪悪感を、手放すように助けてくださいました。私は毎日生きていることを感謝し、人生を楽しんでいます。私は料理、裁縫、ガーデニング、運動のための朝の散歩、そして、スピリチュアル・ファミリーとの瞑想に参加することを楽しんでいます。私の子供たち、その配偶者、スピリチュアル・ファミリー、そして友人たちは、大変親切で私に愛情をかけてくれます。
それにもまして、Divine Motherオードリーは、私と子供たち、エミー、ジャン、レスリー、デール、それに孫たちにたくさんの愛と思いやり、また力添えを下さったので、私はとても幸せで穏やかな気持ちです。私たちの家族が受けた全ての恵みに対して、神様を賛美いたします。