息子の死:愛のお祝い
エディス・ノミ

31歳の息子を亡くした母親でいることは容易ではありません......私の唯一の子供でした。このことが私に起こったのは1999年5月17日でした。Divine Motherは、以前「大きな波が来たとき......」の話をなさいました。私は現在納骨の計画を立てています。また、全ての母親ができれば避けたい決断をしているところです。たとえば、息子の洋服はどうしようか、どうやって息子の銀行口座を閉じようか、彼の友人たちには何と話そうか、というようなことです。
小学校で息子が作ってくれた小さい陶器の人形、ある日私を驚かせようとくれたおもちゃのペンギン、7年前の母の日にくれた、リボンの付いたバスケットに入ったアフリカ・スミレ......それは今満開になっています......これらを見ると涙がどっと溢れ出てきます。息子がいなくて寂しいです。容易なことではありません。やはり、Divine Motherが「大きな波が来たとき......」について話されたとおりです。私はDivine Motherと神様にしがみついています。Divine Motherの偉大で崇高な愛だけが、この経験を乗り越えることを助けてくれたのです。
息子のウェイン・ロバートの死の翌日、Divine Motherは深い瞑想のセッションを私に与えてくださいました。その日から葬式の日まで、Divine Motherは毎日私を、私自身の心の中にいらっしゃる神様へ、導いてくださいました。Divine Motherとの最初のセッションの時から、私に、泣いて泣き叫び、悲しむままにさせてくださいました。私はどうしても、息子の両腕に包み込んでもらいたかったのです。涙が止めどなく流れてきました。胸が張り裂けてしまいそうでした。Divine Motherとのセッションのたび、Divine Motherは私のために、そして心の中に思い浮かべる人たちのために、声に出して、マントラを唱えてくださいました。
そして奇跡は起こり始めたのです。心の中で私は、ほほ笑んでいらっしゃるDivine Motherと、その隣に立って同様にほほ笑んでいる息子を見ました。息子はDivine Motherと一緒にいられて、どんなに幸せで、非常に喜びに満ちて自由だと話してくれました。そして、Divine Motherは、ご自分の二輪馬車に私の息子を迎え入れて、海を越え、時にはユーモアと奇抜さまで交えて、数え切れない体験に連れて行ってくださったのです。Divine Motherがどれほど息子に対して愛情とやさしさがあるのかを見て、バラバラになった私の心が少しずつ元に戻されていきました。
Divine Motherは、私が息子に聞きたかった全ての質問をまとめるのを、手伝ってくださいました。私の心の奥で、彼の答えが私に物事をはっきりと分からせ、これから私が進むべき方向を示してくれました。息子は自分の葬式を明るくしてほしいと言い、そして私にも幸せでいてほしいと言いました。
そして、そのとおり、ウエイン・ロバートが毎日の学校生活を十分に楽しんだイオラニ校のチャペルで、400人を越える参列者が出席した、彼の人生を祝うための壮大で輝かしい葬式でした。彼のたくさんの友人が出席しました。思いやりのあるスピリチュアル・ファミリーの協力を得て、Divine Motherが、それはそれは素敵な葬式に指揮してくださいました。私の息子にとってこれ以上名誉なことはありません。ありがとうございました。
式の間、Divine Motherの「愛のメッセージ」が多くの人に感動を与えました。その上、Divine Motherの光が、学校、チャペル、キャンパス、運動場に祝福をもたらし、そこに来るであろう多くの子供たちがその光の祝福を受けられるのです。Divine Motherが私の息子の旅立ちを贈り物にしてくださったのです。
葬式の直後、Divine Motherは、本土で集中的な指導の集まりをなさるために出発されました。Divine Motherの私への愛は限りなく続き、私を集中的な指導の集まりへ誘ってくださいました。
Divine Motherのニュージャージーの家はとても美しい......スディアーとタトゥー・メータの魅力的な家......一面の緑の芝生に囲まれ、柔らかい毛で覆われた生き物と色鮮やかな鳥が出て来る雄大な森が両面にあります。心の中の神様の場所に行くのに何て完璧な場所なんでしょう。
日当たりのいい瞑想の部屋で、Divine Motherは、私たちの魂が開くようにさせてくださいました。私は息子について、彼の死と彼の人生について話すことができました。Divine Motherが伝えられた多くの力強いメッセージ。クリスチャンソン家、クァック家、ファーカシュ家、そして、そこにいる私たち全員への溢れるような愛情。Divine Motherの特別な言葉が私たちを自分の心の中の神様へ導くこと、そして人生における全ての後悔や罪悪感をDivine Motherに委ねること。毎朝、朝食のテーブルで、皆の質問に答えられ、心配事に対処され、冗談を言われ、私たちと一緒に笑う美しいDivine Mother。毎日、昼食時には、一面の緑の眺めのある、網戸を張り巡らされたベランダで、ご自身を献身的に捧げ、愛と喜びを伝えられ、私たちの心を正常に戻し、育んでくださいました。
涼しくて、活気のあるサンフランシスコ。レイコさんが住んでいるDivine MotherのU型の家。全ての部屋は、デッキ、葉の茂った木々とプールへ向いています。瞑想をする部屋は、厚いカーペットが引き詰められ、ゆったりしたソファーと心地よい枕が置いてあります。Divine Motherは、決まって早朝の朝食と、私たちの心への絶え間ない滋養を与えることを続けられ、それは、気が利いたユーモアに溢れる話と爆笑によって、よく中断されました。そのようなサンフランシスコのスピリチュアル・ファミリーとの仲間意識。一人一人の中の亀裂も、グループの中の亀裂も癒すように、Divine Motherが努力なさるにつれて、私は自分の亀裂がさらに治ったように感じました。
息子は、自分自身の手で命を絶ちました。自殺によるものでした。Divine Motherが親切に私を指名され、私の経験を話すように言われた時、他の人たちがこの話題について懸念していたことに、ますます気付きました。彼らは色々な質問があり、どういう風にこのことを扱えばいいかという戸惑いもありました。自分の話と精神的な経験を話すにつれて、私はだんだん、元気が出てきました。実際に、息子は完全に死んだわけではありませんでした。彼が私の心の中で伝えてくれた、安らぎと喜びのメッセージは、他の人たちの悩んでいる心も慰めてくれるのです。
サンフランシスコで、Divine Motherは、国内と海外において、卓越したレベルで、精神的な意識を人々に広める使命について話されました。それが子供たちのためにもなると話してくださいました。息子は私のたった一人の子供であり、同じようなやり方で亡くなった実の父親と同様に、とても非凡でありながら繊細でした。Divine Motherのお仕事は、子供たちが自分たちを安全で、元気で、そして健全に保つことを学べる、という希望を私の中に湧かせます。
ホノルルへ帰る途中も、私の心の中は、愛するウェイン・ロバートと一緒にいるために、私が毎日行く場所です。集中的な指導の集まりの間、Divine Motherは、何重にも重なった罪悪感と後悔の念の印象を、拭い去ってくださいました。今、心の中で息子を見るとき、私は一緒に過ごした時間をとても幸せでありがたく思います
私が理解できない経験の混乱に、Divine Motherは、「神の秩序」をもたらしました。Divine Motherの慈悲と知恵が私に強さを与えてくれます。時間がたつにつれて、息子との精神的な経験の性質が変わっていくとおっしゃいました。神様とDivine Motherが、ウェイン・ロバートを見守っておられ、精神的に成長するためには、正確に何が必要であるかご存知だと分かり、慰めになります。私の心の中で、全てが良好で、そうあるべきだという確信を持っています。精神的な世界では全ては完璧であると、Divine Motherが私に見せてくださいました。
息子の死からすでに数週間がたちました。私が鬱になっていないことに、神様を賛美します。Divine Motherは、私が夜に眠ることを可能にしてくださいました。食べ物を美味しく感じ、朝起きてしなければならないことをする元気があります。私一人では、この経験を乗り越えることができなかったでしょう。Divine Mother、そしてスピリチュアル・ファミリーの皆さん、ありがとうございました。Divine Motherが私を助けてくださるために、自分たちの集中的な指導を犠牲にした、ロサンゼルスのスピリチュアル・ファミリーにも感謝します。
息子が私の元に生まれたことは神様の祝福だと、Divine Motherがおっしゃいました。私は今世で息子の母親となることができ、この「第9番の道」にいられて、これほどの美しさを頂き、何と幸運なんでしょう。この光、つまりDivine Motherとアバターたちの壮大な光に感謝いたします。
小学校で息子が作ってくれた小さい陶器の人形、ある日私を驚かせようとくれたおもちゃのペンギン、7年前の母の日にくれた、リボンの付いたバスケットに入ったアフリカ・スミレ......それは今満開になっています......これらを見ると涙がどっと溢れ出てきます。息子がいなくて寂しいです。容易なことではありません。やはり、Divine Motherが「大きな波が来たとき......」について話されたとおりです。私はDivine Motherと神様にしがみついています。Divine Motherの偉大で崇高な愛だけが、この経験を乗り越えることを助けてくれたのです。
息子のウェイン・ロバートの死の翌日、Divine Motherは深い瞑想のセッションを私に与えてくださいました。その日から葬式の日まで、Divine Motherは毎日私を、私自身の心の中にいらっしゃる神様へ、導いてくださいました。Divine Motherとの最初のセッションの時から、私に、泣いて泣き叫び、悲しむままにさせてくださいました。私はどうしても、息子の両腕に包み込んでもらいたかったのです。涙が止めどなく流れてきました。胸が張り裂けてしまいそうでした。Divine Motherとのセッションのたび、Divine Motherは私のために、そして心の中に思い浮かべる人たちのために、声に出して、マントラを唱えてくださいました。
そして奇跡は起こり始めたのです。心の中で私は、ほほ笑んでいらっしゃるDivine Motherと、その隣に立って同様にほほ笑んでいる息子を見ました。息子はDivine Motherと一緒にいられて、どんなに幸せで、非常に喜びに満ちて自由だと話してくれました。そして、Divine Motherは、ご自分の二輪馬車に私の息子を迎え入れて、海を越え、時にはユーモアと奇抜さまで交えて、数え切れない体験に連れて行ってくださったのです。Divine Motherがどれほど息子に対して愛情とやさしさがあるのかを見て、バラバラになった私の心が少しずつ元に戻されていきました。
Divine Motherは、私が息子に聞きたかった全ての質問をまとめるのを、手伝ってくださいました。私の心の奥で、彼の答えが私に物事をはっきりと分からせ、これから私が進むべき方向を示してくれました。息子は自分の葬式を明るくしてほしいと言い、そして私にも幸せでいてほしいと言いました。
そして、そのとおり、ウエイン・ロバートが毎日の学校生活を十分に楽しんだイオラニ校のチャペルで、400人を越える参列者が出席した、彼の人生を祝うための壮大で輝かしい葬式でした。彼のたくさんの友人が出席しました。思いやりのあるスピリチュアル・ファミリーの協力を得て、Divine Motherが、それはそれは素敵な葬式に指揮してくださいました。私の息子にとってこれ以上名誉なことはありません。ありがとうございました。
式の間、Divine Motherの「愛のメッセージ」が多くの人に感動を与えました。その上、Divine Motherの光が、学校、チャペル、キャンパス、運動場に祝福をもたらし、そこに来るであろう多くの子供たちがその光の祝福を受けられるのです。Divine Motherが私の息子の旅立ちを贈り物にしてくださったのです。
葬式の直後、Divine Motherは、本土で集中的な指導の集まりをなさるために出発されました。Divine Motherの私への愛は限りなく続き、私を集中的な指導の集まりへ誘ってくださいました。
Divine Motherのニュージャージーの家はとても美しい......スディアーとタトゥー・メータの魅力的な家......一面の緑の芝生に囲まれ、柔らかい毛で覆われた生き物と色鮮やかな鳥が出て来る雄大な森が両面にあります。心の中の神様の場所に行くのに何て完璧な場所なんでしょう。
日当たりのいい瞑想の部屋で、Divine Motherは、私たちの魂が開くようにさせてくださいました。私は息子について、彼の死と彼の人生について話すことができました。Divine Motherが伝えられた多くの力強いメッセージ。クリスチャンソン家、クァック家、ファーカシュ家、そして、そこにいる私たち全員への溢れるような愛情。Divine Motherの特別な言葉が私たちを自分の心の中の神様へ導くこと、そして人生における全ての後悔や罪悪感をDivine Motherに委ねること。毎朝、朝食のテーブルで、皆の質問に答えられ、心配事に対処され、冗談を言われ、私たちと一緒に笑う美しいDivine Mother。毎日、昼食時には、一面の緑の眺めのある、網戸を張り巡らされたベランダで、ご自身を献身的に捧げ、愛と喜びを伝えられ、私たちの心を正常に戻し、育んでくださいました。
涼しくて、活気のあるサンフランシスコ。レイコさんが住んでいるDivine MotherのU型の家。全ての部屋は、デッキ、葉の茂った木々とプールへ向いています。瞑想をする部屋は、厚いカーペットが引き詰められ、ゆったりしたソファーと心地よい枕が置いてあります。Divine Motherは、決まって早朝の朝食と、私たちの心への絶え間ない滋養を与えることを続けられ、それは、気が利いたユーモアに溢れる話と爆笑によって、よく中断されました。そのようなサンフランシスコのスピリチュアル・ファミリーとの仲間意識。一人一人の中の亀裂も、グループの中の亀裂も癒すように、Divine Motherが努力なさるにつれて、私は自分の亀裂がさらに治ったように感じました。
息子は、自分自身の手で命を絶ちました。自殺によるものでした。Divine Motherが親切に私を指名され、私の経験を話すように言われた時、他の人たちがこの話題について懸念していたことに、ますます気付きました。彼らは色々な質問があり、どういう風にこのことを扱えばいいかという戸惑いもありました。自分の話と精神的な経験を話すにつれて、私はだんだん、元気が出てきました。実際に、息子は完全に死んだわけではありませんでした。彼が私の心の中で伝えてくれた、安らぎと喜びのメッセージは、他の人たちの悩んでいる心も慰めてくれるのです。
サンフランシスコで、Divine Motherは、国内と海外において、卓越したレベルで、精神的な意識を人々に広める使命について話されました。それが子供たちのためにもなると話してくださいました。息子は私のたった一人の子供であり、同じようなやり方で亡くなった実の父親と同様に、とても非凡でありながら繊細でした。Divine Motherのお仕事は、子供たちが自分たちを安全で、元気で、そして健全に保つことを学べる、という希望を私の中に湧かせます。
ホノルルへ帰る途中も、私の心の中は、愛するウェイン・ロバートと一緒にいるために、私が毎日行く場所です。集中的な指導の集まりの間、Divine Motherは、何重にも重なった罪悪感と後悔の念の印象を、拭い去ってくださいました。今、心の中で息子を見るとき、私は一緒に過ごした時間をとても幸せでありがたく思います
私が理解できない経験の混乱に、Divine Motherは、「神の秩序」をもたらしました。Divine Motherの慈悲と知恵が私に強さを与えてくれます。時間がたつにつれて、息子との精神的な経験の性質が変わっていくとおっしゃいました。神様とDivine Motherが、ウェイン・ロバートを見守っておられ、精神的に成長するためには、正確に何が必要であるかご存知だと分かり、慰めになります。私の心の中で、全てが良好で、そうあるべきだという確信を持っています。精神的な世界では全ては完璧であると、Divine Motherが私に見せてくださいました。
息子の死からすでに数週間がたちました。私が鬱になっていないことに、神様を賛美します。Divine Motherは、私が夜に眠ることを可能にしてくださいました。食べ物を美味しく感じ、朝起きてしなければならないことをする元気があります。私一人では、この経験を乗り越えることができなかったでしょう。Divine Mother、そしてスピリチュアル・ファミリーの皆さん、ありがとうございました。Divine Motherが私を助けてくださるために、自分たちの集中的な指導を犠牲にした、ロサンゼルスのスピリチュアル・ファミリーにも感謝します。
息子が私の元に生まれたことは神様の祝福だと、Divine Motherがおっしゃいました。私は今世で息子の母親となることができ、この「第9番の道」にいられて、これほどの美しさを頂き、何と幸運なんでしょう。この光、つまりDivine Motherとアバターたちの壮大な光に感謝いたします。