Divine Motherとのヨーロッパの旅
エリザベス・クニモト

3週間近くヨーロッパでDivine Motherとご一緒できたことは、私の人生の中で最も光栄なことでした。私たちは、私たちの最愛のスピリチュアル・リーダーが、どのように……つまりDivine Motherの愛、献身、ご自分の最高のビジョンへの揺るぎない決意を通して……聖なる光を世界に伝えられることをほんの一部、体験することができました。私たちは、このことがDivine Motherの皆との交わり方の中で、見えました……会談する国際的なリーダーから、国連で知り合った方々まで……国連本部本会議室や廊下やエレベーターの中で……Divine Motherが、いつもきらきらと輝く目と晴れやかな笑顔で、一人一人に注意をお払いになりました。Divine Motherは、面会の予約を取っておいた高官たちだけでなく、ダライ・ラマの代表者たちやエレベーターの中で出会った国際電気通信連合(ITU)の儀典官にも、思いがけなくつながりができました。
Divine Motherと出会った全ての方々とのコミュニケーションの様子を拝見できて、とても光栄でした。その中の多くの方々は、学術分野、医学界、ビジネス界、または技術的分野の出身にもかかわらず、Divine Motherの近くにいると、頭と頭の関わりから、心と心の関わりへと移り変わっていくのを、私たちは目の当たりにしました。
アメリカ大使館のリンダ・ボーゲル氏がDivine Motherのために夕食会を開かれ、その場でDivine Motherを「私たちの最高のゲスト」として紹介されました。Divine Motherは、ボーゲル氏とDivine Motherのハワイからのラッキーな人たちも含めたディナーの出席者のための、特別な瞑想の時間を設けてくださいました。ボーゲル氏は私たちに最高のもてなしをなさり、ある朝、国境を越えてフランスに連れて行ってくださり、そこの市場で私たちにルンピアをごちそうしてくださいました。フォンデュの昼食の後、湖と山々の壮大な美しさ、木々や花々の春の色、そして彫刻やローマ時代の遺跡を見るため、私たちをジュネーブ湖の周りの見物に連れて行ってくださいました。ジュネーブでの最後の夜、Divine Motherは、ご丁重にボーゲル氏と私たちのために、一流レストランでの素晴らしいディナーを主催してくださいました。
国際的な予定が詰まったスケジュールを守っていらっしゃったにもかかわらず、Divine Motherは、いつも私たちに貴重な瞑想と一対一のセッションを与える時間を作ってくださいました。その与えられた一対一のセッションは、とてつもない躍進と態度の変化が起こるための助けになりました。
Divine Motherの助けを借りて、私が幼児の頃、そして小学校1年の時に、働いていた親から、ハワイ島に1年間以上 2度も手放された子供の気持ちを、初めて感じることができました。両親の不在に絶え間なく悲嘆にくれて、ヒロでの世話する人たちからもらえなかった、愛情や慰めに餓えていた子供のために、泣くことができました。Divine Motherは、私がこの子供に欲しがっていた無条件の愛と暖かさを与えられ、全力を尽くして世話した人たちを許すことを、手伝ってくださいました。
そして別のセッションの中で、私が亡くなった父にどんなに愛しているかを心の中で告げ、彼の愛を受け取るように、Divine Motherが助けてくださいました。このことは、母親が私の人生をあまりにも支配していたので、私は父親に対する愛情、尊敬心、感謝の気持ちを認められなかったという、私の形成期のとてつもない不均衡を調整しました。さらに、これほどの偏った関係が、自分の心の中がいつも混乱していて、その場その場に気持ちを完全に集中することができないことの原因の一つになったと、分かるようになりました。このことに気付かせてくださったDivine Motherに感謝いたします! ジュネーブでのその瞬間まで、私の否認していたことも、これらの辛い気持ちから断ち切られていたことも、全然気が付きませんでした。
ジュネーブでの魔法のような14日間の後、私たちはDivine Motherと共にロンドンへ旅を続けました。今回は、ホテルのかわりに、Divine Motherが居心地の良いリビング・ダイニングとキッチンに、三つの浴室付きの3LDKマンションを借りてくださいました。これはアンダーソン家族と友人たちとの5日間の瞑想、お互いの体験の分かち合い、一対一のセッションのために最高の場でした。ロンドンでの滞在が特別だったのは、お花、「ono-licious」[1]な食べ物、キャンドルなどで、実際の生活の場面で、愛情のこもった環境を作ってくださったDivine Motherを拝見できたことです。買い物、料理、掃除をしながら、自分たち3人組に「三銃士」と名付けた私とスティーブンとタッドは、できる限りDivine Motherとアンダーソンの家族と一緒にいるように誘われました。その5日の間に起こった驚異的な変化を見て、何という喜びだったでしょう。
Divine Motherがベルファストへ出発なさった時、スティーブンはホノルルへ帰って、私とタッドはパリへ行きました。パリでは、プレスキット[1]をニューズウィーク・インターナショナルに提出し、ユネスコの敬老の年の担当者にもう一つのプレスキットと「精神性と若さ」と言うビデオを含めて、幾つかのビデオを届けました。
Divine Motherとの3週間の間に起こったことを皆さんに伝えようと、ニュースレター全部を埋め尽くすことができますが、今はただ、Divine Motherとご一緒するその光栄だけによって、私たちの人生が変わったという貴重な瞬間を、Divine Motherにお礼を言うことしかできません。まあ、私は今生まれ変わったような主人(ムッシュー・オナーレー・トン・トン)ができ、また主人には新しい女房ができました(私はいろいろな意味で明るくなりました)! Divine Motherに心の底から感謝申し上げます。
Divine Motherと出会った全ての方々とのコミュニケーションの様子を拝見できて、とても光栄でした。その中の多くの方々は、学術分野、医学界、ビジネス界、または技術的分野の出身にもかかわらず、Divine Motherの近くにいると、頭と頭の関わりから、心と心の関わりへと移り変わっていくのを、私たちは目の当たりにしました。
アメリカ大使館のリンダ・ボーゲル氏がDivine Motherのために夕食会を開かれ、その場でDivine Motherを「私たちの最高のゲスト」として紹介されました。Divine Motherは、ボーゲル氏とDivine Motherのハワイからのラッキーな人たちも含めたディナーの出席者のための、特別な瞑想の時間を設けてくださいました。ボーゲル氏は私たちに最高のもてなしをなさり、ある朝、国境を越えてフランスに連れて行ってくださり、そこの市場で私たちにルンピアをごちそうしてくださいました。フォンデュの昼食の後、湖と山々の壮大な美しさ、木々や花々の春の色、そして彫刻やローマ時代の遺跡を見るため、私たちをジュネーブ湖の周りの見物に連れて行ってくださいました。ジュネーブでの最後の夜、Divine Motherは、ご丁重にボーゲル氏と私たちのために、一流レストランでの素晴らしいディナーを主催してくださいました。
国際的な予定が詰まったスケジュールを守っていらっしゃったにもかかわらず、Divine Motherは、いつも私たちに貴重な瞑想と一対一のセッションを与える時間を作ってくださいました。その与えられた一対一のセッションは、とてつもない躍進と態度の変化が起こるための助けになりました。
Divine Motherの助けを借りて、私が幼児の頃、そして小学校1年の時に、働いていた親から、ハワイ島に1年間以上 2度も手放された子供の気持ちを、初めて感じることができました。両親の不在に絶え間なく悲嘆にくれて、ヒロでの世話する人たちからもらえなかった、愛情や慰めに餓えていた子供のために、泣くことができました。Divine Motherは、私がこの子供に欲しがっていた無条件の愛と暖かさを与えられ、全力を尽くして世話した人たちを許すことを、手伝ってくださいました。
そして別のセッションの中で、私が亡くなった父にどんなに愛しているかを心の中で告げ、彼の愛を受け取るように、Divine Motherが助けてくださいました。このことは、母親が私の人生をあまりにも支配していたので、私は父親に対する愛情、尊敬心、感謝の気持ちを認められなかったという、私の形成期のとてつもない不均衡を調整しました。さらに、これほどの偏った関係が、自分の心の中がいつも混乱していて、その場その場に気持ちを完全に集中することができないことの原因の一つになったと、分かるようになりました。このことに気付かせてくださったDivine Motherに感謝いたします! ジュネーブでのその瞬間まで、私の否認していたことも、これらの辛い気持ちから断ち切られていたことも、全然気が付きませんでした。
ジュネーブでの魔法のような14日間の後、私たちはDivine Motherと共にロンドンへ旅を続けました。今回は、ホテルのかわりに、Divine Motherが居心地の良いリビング・ダイニングとキッチンに、三つの浴室付きの3LDKマンションを借りてくださいました。これはアンダーソン家族と友人たちとの5日間の瞑想、お互いの体験の分かち合い、一対一のセッションのために最高の場でした。ロンドンでの滞在が特別だったのは、お花、「ono-licious」[1]な食べ物、キャンドルなどで、実際の生活の場面で、愛情のこもった環境を作ってくださったDivine Motherを拝見できたことです。買い物、料理、掃除をしながら、自分たち3人組に「三銃士」と名付けた私とスティーブンとタッドは、できる限りDivine Motherとアンダーソンの家族と一緒にいるように誘われました。その5日の間に起こった驚異的な変化を見て、何という喜びだったでしょう。
Divine Motherがベルファストへ出発なさった時、スティーブンはホノルルへ帰って、私とタッドはパリへ行きました。パリでは、プレスキット[1]をニューズウィーク・インターナショナルに提出し、ユネスコの敬老の年の担当者にもう一つのプレスキットと「精神性と若さ」と言うビデオを含めて、幾つかのビデオを届けました。
Divine Motherとの3週間の間に起こったことを皆さんに伝えようと、ニュースレター全部を埋め尽くすことができますが、今はただ、Divine Motherとご一緒するその光栄だけによって、私たちの人生が変わったという貴重な瞬間を、Divine Motherにお礼を言うことしかできません。まあ、私は今生まれ変わったような主人(ムッシュー・オナーレー・トン・トン)ができ、また主人には新しい女房ができました(私はいろいろな意味で明るくなりました)! Divine Motherに心の底から感謝申し上げます。