2度目のチャンスと自分を変える機会への感謝
ジム・ペトロフ

1983年までに、私の35年間の人生は、怒りと欲求不満と困惑でいっぱいになっていました。私の人生に神様が本当に必要でしたが、そのことに気付きませんでした。私が知っていたのは、私は自分の全ての問題を外部の出来事や他人のせいにしていたということだけでした。生涯にわたって、かんしゃく持ち、他人の欲求より自分の欲求を重視すること、素早い反発性、自分の言葉がどのように他人を傷つけるかを気にせずに余計なことを簡単に言う、などの否定的な傾向を持っていました。これらの傾向が、私の2度目の結婚に問題を引き起こし、私の心を絶望状態に追い込みました。神様の恩寵を通して、これが、私の心を神様の聖なる愛へ開いてくださった、Divine Motherにお会いした年でした。Divine Motherは、私を自分の心の中の神様に戻るように、この美しくて、度々激動する旅へ送り出してくださいました。
私は成功した工学者としてのキャリアを持ち、それは私をオハイオ州から、妻のジーンと出会ったロサンゼルスへ、そしてハワイへと導きました。しかし、ハワイの仕事をたった2年間したところで、私が人生の状況に平静に対処できなかったために、他の仕事の当てのないまま、ついに会社から辞職に追い込まれました。私のその時の気持ちを表すには怒りと言う言葉では物足りなく、つまり無理難題を要求する仕事に「不当な扱いを受けた」気持でした。私はあまりに疲れ果ててストレスがたまっていたので、長い休養を必要としていました。私は1年間の休みを取りました。Divine Motherにお会いしたのはこの間でした。
最初Divine Motherにお会いした時、Divine Motherは私に色々なことを質問なさいました。Divine Motherはシュリ・ラーマクリシュナのことを話してくださり、彼についてのタイム誌の記事を見せてくださいました。それから、私たちは瞑想をしました。その後Divine Motherは私の手を取って外へ案内してくださり、こうおっしゃいました。「木をご覧なさい! 空を見てご覧なさい! ほら、今何もかもが変わりましたよ!」今日私は、Divine Motherがおっしゃったことの幅広くて総合的な事実を、証明することができます。実際のところ、私は、スケジュールがぎっしり詰まった専門職の生活を持ちながら、今のような満足した心が持てるということが可能だとは、夢にも思いませんでした。
この道を歩んだ数年間、私の人生の中で幾つかの意味深い変化が起こりました。しかし、私の気の短さがかなり改善したにもかかわらず、自己中心的な行動と反発的なところを変えることにまだ抵抗していました。私はさらに二つの職場から逃げ去ったこともありました。このなかなか変わらない態度は、ジーンにとって非常に辛いことでした。ジーンが私の側から去らなかったのは、ただただDivine Motherの恩寵でした。Divine Motherは、私に変わりたいと真剣にならせるのに、まさに何が必要だったかご存知で、1995年に私に強烈な経験を与えてくださいました。ある土曜日の夜中の12時に、私は胸が痛み、911[1]が呼ばれました。それからジーンはDivine Motherに電話して、Divine Motherは私に「これは完全に精神的な経験ですから、ただDivine Motherのあなたへの愛と恵みを信じてください」とおっしゃいました。救急隊員が私の手当てをしていた時に、Divine Motherは私たちの家にお見えになりました。救急隊員が、ストレッチャーに乗せた私を、ドアを通して外の救急車へ運んでいる最中に、Divine Motherがうちのソファーの上で瞑想なさっていた思い出を、いつも大切にしています。Divine Motherはジーンと一緒に病院に3時間もいてくださり、その上、翌朝予定通り9時のグループ瞑想のセッションを行われました!
これら全ての出来事の結果として、6か所のバイパス手術を受け、そして合併症が出たために10日後肺の手術もしました。その当時Divine Motherは、弁護士業で多忙な日々を送っていたにもかかわらず、入院中にさらに2回もお見舞いに来てくださいました。Divine Motherは、私に2度目のチャンスを与えたのだとおっしゃいました。その時から、全ての物事の中で私は何よりも神様を第一にし、私の古いやり方を変え、ジーンと他人に敬意を示し、そして正しく生きるべきだと、Divine Motherがおっしゃいました。Divine Motherは病院で私に「24時間中私はあなたを自分の中の神様へと引き寄せ続けています」とおっしゃいました。Divine Motherは私を精神的な繭の中に包み、私の心配事を取り去ってくださいました。そのバイパスの全ての経験を通して私には全く恐れがありませんでした。何が起こってもDivine Motherの恩寵が私に触れて、私を守っていると分かっていました。振り返って見ると、私はこの辛い経験を深く感謝し、これが私が成長するために必要だったと分かっています。
私は成功した工学者としてのキャリアを持ち、それは私をオハイオ州から、妻のジーンと出会ったロサンゼルスへ、そしてハワイへと導きました。しかし、ハワイの仕事をたった2年間したところで、私が人生の状況に平静に対処できなかったために、他の仕事の当てのないまま、ついに会社から辞職に追い込まれました。私のその時の気持ちを表すには怒りと言う言葉では物足りなく、つまり無理難題を要求する仕事に「不当な扱いを受けた」気持でした。私はあまりに疲れ果ててストレスがたまっていたので、長い休養を必要としていました。私は1年間の休みを取りました。Divine Motherにお会いしたのはこの間でした。
最初Divine Motherにお会いした時、Divine Motherは私に色々なことを質問なさいました。Divine Motherはシュリ・ラーマクリシュナのことを話してくださり、彼についてのタイム誌の記事を見せてくださいました。それから、私たちは瞑想をしました。その後Divine Motherは私の手を取って外へ案内してくださり、こうおっしゃいました。「木をご覧なさい! 空を見てご覧なさい! ほら、今何もかもが変わりましたよ!」今日私は、Divine Motherがおっしゃったことの幅広くて総合的な事実を、証明することができます。実際のところ、私は、スケジュールがぎっしり詰まった専門職の生活を持ちながら、今のような満足した心が持てるということが可能だとは、夢にも思いませんでした。
この道を歩んだ数年間、私の人生の中で幾つかの意味深い変化が起こりました。しかし、私の気の短さがかなり改善したにもかかわらず、自己中心的な行動と反発的なところを変えることにまだ抵抗していました。私はさらに二つの職場から逃げ去ったこともありました。このなかなか変わらない態度は、ジーンにとって非常に辛いことでした。ジーンが私の側から去らなかったのは、ただただDivine Motherの恩寵でした。Divine Motherは、私に変わりたいと真剣にならせるのに、まさに何が必要だったかご存知で、1995年に私に強烈な経験を与えてくださいました。ある土曜日の夜中の12時に、私は胸が痛み、911[1]が呼ばれました。それからジーンはDivine Motherに電話して、Divine Motherは私に「これは完全に精神的な経験ですから、ただDivine Motherのあなたへの愛と恵みを信じてください」とおっしゃいました。救急隊員が私の手当てをしていた時に、Divine Motherは私たちの家にお見えになりました。救急隊員が、ストレッチャーに乗せた私を、ドアを通して外の救急車へ運んでいる最中に、Divine Motherがうちのソファーの上で瞑想なさっていた思い出を、いつも大切にしています。Divine Motherはジーンと一緒に病院に3時間もいてくださり、その上、翌朝予定通り9時のグループ瞑想のセッションを行われました!
これら全ての出来事の結果として、6か所のバイパス手術を受け、そして合併症が出たために10日後肺の手術もしました。その当時Divine Motherは、弁護士業で多忙な日々を送っていたにもかかわらず、入院中にさらに2回もお見舞いに来てくださいました。Divine Motherは、私に2度目のチャンスを与えたのだとおっしゃいました。その時から、全ての物事の中で私は何よりも神様を第一にし、私の古いやり方を変え、ジーンと他人に敬意を示し、そして正しく生きるべきだと、Divine Motherがおっしゃいました。Divine Motherは病院で私に「24時間中私はあなたを自分の中の神様へと引き寄せ続けています」とおっしゃいました。Divine Motherは私を精神的な繭の中に包み、私の心配事を取り去ってくださいました。そのバイパスの全ての経験を通して私には全く恐れがありませんでした。何が起こってもDivine Motherの恩寵が私に触れて、私を守っていると分かっていました。振り返って見ると、私はこの辛い経験を深く感謝し、これが私が成長するために必要だったと分かっています。
ある夜遅く、病院で痛みがあまりにも激しくなって神様しか助けられないと分かっていたので、私はジーンにDivine Motherの自宅に電話をかけるように頼みました。肺の虚脱のため、胸に入れられたチューブが痛くてたまらず、5日間の日夜通しての不眠の原因となっていました。薬は一切効果がありませんでした。たった10分間
Divine Motherと電話で話した後、痛みが消え、一晩中眠ることができました! それ以外にも痛みがあったはずの処置がいくつもありましたが、神様の恩寵によって、多くの場合私はわずかな痛みを感じたか、または痛みを一切感じませんでした。「意識が体をコントロールします。逆ではありません」というDivine Motherの言葉を確かに直接経験することができました。
私にとって、このバイパス手術は、神様への愛を育むように新たな献身と感謝をもたらしたので、Divine Motherからの恩寵でした。神様の恩寵だけを通して、神様を優先すること、人に敬意を示すこと、そして、いつも他人に対しての愛と優しさに基づいて行動することが、正しい生き方に不可欠であることを学びました。Divine Motherの光は、以前常に絶え間なく急いで、わめき散らかした後、償いをする、自己中心的で、そしてジーンと家族、また友人と世間一般、そして誰よりも自分自身を尊重しなかった私の心を、愛のある穏やかな心へと変えました。Divine Motherは私をここまで成長させてくださいました。私は永遠に感謝の気持ちでいっぱいです。
Divine Motherと電話で話した後、痛みが消え、一晩中眠ることができました! それ以外にも痛みがあったはずの処置がいくつもありましたが、神様の恩寵によって、多くの場合私はわずかな痛みを感じたか、または痛みを一切感じませんでした。「意識が体をコントロールします。逆ではありません」というDivine Motherの言葉を確かに直接経験することができました。
私にとって、このバイパス手術は、神様への愛を育むように新たな献身と感謝をもたらしたので、Divine Motherからの恩寵でした。神様の恩寵だけを通して、神様を優先すること、人に敬意を示すこと、そして、いつも他人に対しての愛と優しさに基づいて行動することが、正しい生き方に不可欠であることを学びました。Divine Motherの光は、以前常に絶え間なく急いで、わめき散らかした後、償いをする、自己中心的で、そしてジーンと家族、また友人と世間一般、そして誰よりも自分自身を尊重しなかった私の心を、愛のある穏やかな心へと変えました。Divine Motherは私をここまで成長させてくださいました。私は永遠に感謝の気持ちでいっぱいです。