脳卒中を乗り越えること
カレン・ハリモト

私は一人っ子で、孤独で問題を抱えて育ちました。両親は常に喧嘩をしていたようで、私は抱きしめられたり、キスをしてもらったり、愛されていると言われた覚えが一切ありません。私が4、5歳の頃、庭に出て空を見上げて、「私はどうしてここにいるの?」と神様に聞いたのを覚えています。独り言を言ったり、人形に話をしたりして、寂しい空想の世界に住んでいました。両親が私に話すときは、ほとんど私を叱るためか、けなすためでした。両親は私をゴミ箱で見つけた、そしていい子でなければ、私を見つけた元のゴミ箱に戻してやると言いました。母は特に私に厳しかったです。ある時、私について一つもいいことを言えないのかと母に聞いたら、母は「まあ、あなたは身体障害者じゃないわ」と答えました。
私は自分自身でいること、また自分の気持ちを表現することを決して許されませんでした。両親は私がいつも行儀のいい、ニコニコした子供であることを期待しました。鬱積した感情による怒りと欲求不満で、私の一番好きな人形のトルーディーをひどく打って、頭をもぎ取ったのを覚えています。私は寂しさで神様にどうか兄弟姉妹を与えてくださいと祈りました。何年も後に、神様は確かに私の子供時代の祈りに応えて、素敵な生きがいと世界一の兄弟姉妹、つまりスピリチュアル・ファミリーを与えてくださいました。
学生時代、ティーンエージャーのソーシャルライフに熱中するにつれて、神様に対する憧れはそれほど重要でなくなりました。友達とボーイフレンドの方がもっと重要でした。私はありとあらゆる間違ったところから愛情を探し求め始めました。
私は、私を一生幸せにしてくれると思った男性と結婚しました。彼は優しく、穏やかに話し、知的でした。夢にみた王子様が現れたと思いました。私たちには二人の子供ができました。その後、夫の色々なところが気になり始め、私は夫を恨み、苦々しく思うようになりました。夫は必要だった愛情と心遣いをよそから探し求め始めました。子供たちが4歳と6歳の時、私たちは離婚し、私は子供たちの親権を得ました。私の母親は私が妻として、また母親として至らないので夫が他の女性に走ったのだと言いました。
私はシングルマザーになり、自分と子供を支えるために働きました。別れた夫からの養育費なしで、私は全ての時間とエネルギーを人並みに暮らすことに費やしました。子供たちには私しかいなかったので、彼らには時間と配慮が必要だと感じ、母親と父親の両方の役割を果たそうとしました。
1986年に親友と一緒に旅行会社を始めました。私のパートナーのデービットは、ただのビジネス・パートナーだけではなく、それ以上の私の最も親しい友人で、助言者でもありました。最初の数年間、私たちの会社は繁盛しましたが、1997年にデービットが予期せぬ、重度で致命的な心臓発作に襲われました。私は突然一人取り残され、私たちのビジネスの全ての責任を引き継がなくてはなりませんでした。私は精神的にひどく落ち込んで打ちのめされました。
その時、2人の友人が私にDivine Motherのことを話す必要があると感じ、声をかけてくれました。彼女たちが言った全てのことが私の心を打ち、Divine Motherについての話も、Divine Motherのメッセージも「真実」だと自分の体で感じました。結局、私たちは昼食に5時間も費やしました。生まれた時からずっと私が探し求めていたのは、これだと分かりました。私は、Divine Motherがハワイ大学でなさる講演に、出席するように招待されました。その日、Divine Motherにお会いした時、私はDivine Motherの優しさと温かさを感じました。Divine Motherが私に瞑想の集まりに参加し始めてもいいと言われ、私はそれ以来、定期的に瞑想の集まりに通っています。私はやっと自分の居場所へ戻ったのです。
私の娘は敬虔なキリスト教再生派の信者です。私がスピリチュアル・ファミリーに入った時、娘は非常に動転し、私が正しいことをしているかどうかを疑いました。しかし、私は心の中で自分の道を見つけたのだと分かっていて、娘の不安にもかかわらず、私の決心は揺るぎませんでした。私のビジネスや家族に対しての態度が変わり始め、さらなる安らぎと喜びを体験し始めました。Divine Motherは私の人生を通して、私といつも一緒だったということが解るようになりました。Divine Motherはずっと私を導いてくださり、正しい選択ができるように助けてくださっていたと感じました。子どもたちがどんなに立派に育ってくれたかをよく考えてみました。私は自分の家を持ち、食卓には食べ物があり、息子と娘を大学に送ることができました。これらのことを自分一人では絶対にできませんでした。
私は旅行会社を持っていたので、Divine Motherの旅行の手配を手伝うことを申し出たところ、Divine Motherは寛大に受け入れてくださいました。Divine Motherの旅行の手配をさせていただいたことで、私は豊かな恩寵と喜びを頂き、その途中で多くの奇跡を目にしました。Divine Motherの使命への私の認識がより深まったその期間に、とても感謝しています。私の人生は素晴らしいと感じ......そして必要なものを全て持っていると思いました。私は感謝していると思っていました。幸せだと思っていました。しかし1999年6月の出来事からやっと、私は本当に深い感謝を感じるようになりました。
1999年6月6日の朝、出勤前に出かける準備をしていた時、重い脳卒中を起こしました。私が起こした脳卒中の性質を考えると、私が生き残ったのが奇跡で、さらに驚いたことに私が昏睡状態に陥らなかったことだと、2人の医者が私に言いました。私は体の右側の機能を全て失いましたが、不思議なことに、私ははっきりと話し、考えることができました。影響を受けたのは、発話能力や思考力をつかさどる脳の部分だったにもかかわらず、なぜこういうことが可能なのか、医者たちにも分からなかったのです。私の発話能力と思考力が守られたのは、神様の愛の力についての、個人的な体験を他の人に分かち合うためだと、はっきりと解っています。
私のスピリチュアル・ファミリーに入る決心を初めは嫌がり、疑い、そしてDivine Motherへの私の献身が理解できなかった娘は、私が脳卒中を起こした日、ブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバーにいらっしゃった、Divine Motherに連絡せざるを得ないと感じました。Divine Motherは娘に心配しないようにとおっしゃり、娘は慰められました。Divine Motherは私に電話での一対一のセッションを与えてくださり、私は安らかな気持ちと愛情に満たされました。ハワイにお帰りになった際に、Divine Motherは病院まで何度もお見舞に来てくださいました。私と一緒に瞑想なさり、私のために貴重なマントラを唱え、私の心と病室を神様の愛情と光で満たしてくださいました。Divine Motherの前で、愛情と喜びしか感じませんでした。
リハビリ病院では、恐れや怒り、絶望でいっぱいの多くの脳卒中の犠牲者を見ました。病院の心理学者が私に会いに来て、怒りや落ち込みを少しでも感じるかと聞きました。そういう風に感じるのが自然なことだと彼女は言いました。そのことについて、少し考えてから、私の心の中に神様がいらっしゃるので、恐れも、怒りも、落ち込みもないと答えるしかなかったのです。彼女は私を見つめて、私が心穏やかだと感じると言い、そして、「あなたには、私は必要ではありません」と言いました。他の患者が経験したことを目の当たりにするにつれて、私はどれほど神の愛の力によって救われたかが解りました。
病院から家に帰った時、私は全介助を必要としました。私の保険は約1か月の在宅ケアを払ってくれました。援助を使い果たしたら、私はどうするのか、家族がどのように対処できるのか分かりませんでしたが、Divine Motherは既に心配しないようにとおっしゃったので、私は心配しませんでした。医療保険が利かなくなった時、Divine Motherがスピリチュアル・ファミリーに私を手伝うように頼んでくださいました。私の美しい兄弟姉妹たちから、驚くほどの愛情が溢れてきました。Divine Motherは皆の心をたくさんの愛で満たされ、Divine Motherの聖なる愛が、とても素晴らしい形で、彼らを通して私へ流れてきました。彼らは、寛大な開いた心で来てくれて、食事を準備したり、家の簡単な修理をしたり、できる限りあらゆる面で私を手伝ってくれました。私の全てのニーズに毎日応えるように、彼らはスケジュールを立ててくれました。
さらに幸いなことに、Divine Motherは私が行きたいだけ、瞑想の集まりに行くことを許してくださいました。それで、私は1週間に4回瞑想に行き始めました。私がセッションに出席できるように、スピリチュアル・ファミリーは交通手段を提供してくれました。Divine Motherの家にいるのはとても素晴らしいことです......その愛情を感じることも、Divine Motherの子供たちと一緒にいられることも。私の必要なことを全て満たしてくださり、Divine Motherに非常に感謝しています。以前知りもしなかった多くのメンバーも含めて、スピリチュアル・ファミリーと親密で愛情のこもった関係を築くことができました。私は仕事と家族であまりに忙しかったので、彼らのことを知る機会さえなかったのです。彼らは、私が小さい子供として願っていた兄弟姉妹です。私はとても恵まれています。
ある夜、スピリチュアル・ファミリーの兄弟姉妹の数人が私の家にいた時、私の血圧が非常に高くなっていました。娘は心配していたので、医者に電話をして、医者は私にもっと薬を飲むべきだと言いました。私は心の中でこれ以上薬を飲みたくないと感じました。私はスピリチュアル・ファミリーに、私と一緒に瞑想するようにお願いし、彼らはそうしてくれました。私はマントラを唱えて、Divine Motherの美しい顔が私に微笑んでいるのを見ました。安らぎと喜びを感じました。その後、私の息子が私の血圧を測った時、26 mmHg以上正常値まで下がっていました。それ以降、血圧には何の問題もありません。
スピリチュアル・ファミリーが私を手伝いに来始めてから、娘は彼らがどんなに美しいか解り始めたのです。私がグループに加わるのに対して娘が持っていた最初の抵抗感にもかかわらず、彼女は彼らの溢れるほどの愛情と思いやりに非常に心を動かされました。神様が娘にどのようになってほしいか、つまり無私無欲で愛情深くあることを、彼らから学んでいるという手紙をDivine Motherに書きました。Divine Motherとスピリチュアル・ファミリーへの献身に対しての、娘の懸念に悩まされていたので、私にとってそれは本当に奇跡で喜ばしいことでした。今彼女はこの美しい道を理解し敬意を示していると感じます。
ある日、瞑想していた時、私は自分の母親が私を呼んでいる声を聞きました。母はずっと、とても不幸せで、ひどい痛みがあり、彼女が10年以上前に亡くなった時、私たちの間にまだ多くの未解決の問題が残っていました。しかしながら、彼女の声は本物そのもので、優しくて感じのいい声でした。母は幸せだと分かり、私はこの道に入ってから、毎日、母のためにマントラを唱えていたので、私は彼女のために正しいことをしていたと、母が分かってくれたような気がしました。私と母は魂の世界では和解したと感じ、もう母に対して怒りも恨みも感じません......愛だけが残っています。
脳卒中を起こした直後、私の神経科医の一人が、体の動きが改善することを期待しないようにと話しました。彼は、私に残りの人生を車椅子で過ごさなくてはならないだろうと言いました。しかし、徐々にある程度の体の機能と体力を取り戻し、現在杖で歩き、多くのことを一人でできるようになりました。しかし、最も重要なことは身体状態の改善ではありませんでした。自分の身体的改善について、私はとても感謝していますが、何よりも感謝しているのは、私が体験した精神的な変化です。私の心の中の気づきは、信じられないほどです。今、私は神の偉大な愛を個人的に経験したと、心から言うことができ、この経験なしには、このような驚異的な精神的成長ができなかったので、この経験をしてとても幸せで、感謝しています。神様、神様の愛にとても感謝しております。私の命を救ってくださっただけではなく、生まれ変わらせてくださいました
私は自分自身でいること、また自分の気持ちを表現することを決して許されませんでした。両親は私がいつも行儀のいい、ニコニコした子供であることを期待しました。鬱積した感情による怒りと欲求不満で、私の一番好きな人形のトルーディーをひどく打って、頭をもぎ取ったのを覚えています。私は寂しさで神様にどうか兄弟姉妹を与えてくださいと祈りました。何年も後に、神様は確かに私の子供時代の祈りに応えて、素敵な生きがいと世界一の兄弟姉妹、つまりスピリチュアル・ファミリーを与えてくださいました。
学生時代、ティーンエージャーのソーシャルライフに熱中するにつれて、神様に対する憧れはそれほど重要でなくなりました。友達とボーイフレンドの方がもっと重要でした。私はありとあらゆる間違ったところから愛情を探し求め始めました。
私は、私を一生幸せにしてくれると思った男性と結婚しました。彼は優しく、穏やかに話し、知的でした。夢にみた王子様が現れたと思いました。私たちには二人の子供ができました。その後、夫の色々なところが気になり始め、私は夫を恨み、苦々しく思うようになりました。夫は必要だった愛情と心遣いをよそから探し求め始めました。子供たちが4歳と6歳の時、私たちは離婚し、私は子供たちの親権を得ました。私の母親は私が妻として、また母親として至らないので夫が他の女性に走ったのだと言いました。
私はシングルマザーになり、自分と子供を支えるために働きました。別れた夫からの養育費なしで、私は全ての時間とエネルギーを人並みに暮らすことに費やしました。子供たちには私しかいなかったので、彼らには時間と配慮が必要だと感じ、母親と父親の両方の役割を果たそうとしました。
1986年に親友と一緒に旅行会社を始めました。私のパートナーのデービットは、ただのビジネス・パートナーだけではなく、それ以上の私の最も親しい友人で、助言者でもありました。最初の数年間、私たちの会社は繁盛しましたが、1997年にデービットが予期せぬ、重度で致命的な心臓発作に襲われました。私は突然一人取り残され、私たちのビジネスの全ての責任を引き継がなくてはなりませんでした。私は精神的にひどく落ち込んで打ちのめされました。
その時、2人の友人が私にDivine Motherのことを話す必要があると感じ、声をかけてくれました。彼女たちが言った全てのことが私の心を打ち、Divine Motherについての話も、Divine Motherのメッセージも「真実」だと自分の体で感じました。結局、私たちは昼食に5時間も費やしました。生まれた時からずっと私が探し求めていたのは、これだと分かりました。私は、Divine Motherがハワイ大学でなさる講演に、出席するように招待されました。その日、Divine Motherにお会いした時、私はDivine Motherの優しさと温かさを感じました。Divine Motherが私に瞑想の集まりに参加し始めてもいいと言われ、私はそれ以来、定期的に瞑想の集まりに通っています。私はやっと自分の居場所へ戻ったのです。
私の娘は敬虔なキリスト教再生派の信者です。私がスピリチュアル・ファミリーに入った時、娘は非常に動転し、私が正しいことをしているかどうかを疑いました。しかし、私は心の中で自分の道を見つけたのだと分かっていて、娘の不安にもかかわらず、私の決心は揺るぎませんでした。私のビジネスや家族に対しての態度が変わり始め、さらなる安らぎと喜びを体験し始めました。Divine Motherは私の人生を通して、私といつも一緒だったということが解るようになりました。Divine Motherはずっと私を導いてくださり、正しい選択ができるように助けてくださっていたと感じました。子どもたちがどんなに立派に育ってくれたかをよく考えてみました。私は自分の家を持ち、食卓には食べ物があり、息子と娘を大学に送ることができました。これらのことを自分一人では絶対にできませんでした。
私は旅行会社を持っていたので、Divine Motherの旅行の手配を手伝うことを申し出たところ、Divine Motherは寛大に受け入れてくださいました。Divine Motherの旅行の手配をさせていただいたことで、私は豊かな恩寵と喜びを頂き、その途中で多くの奇跡を目にしました。Divine Motherの使命への私の認識がより深まったその期間に、とても感謝しています。私の人生は素晴らしいと感じ......そして必要なものを全て持っていると思いました。私は感謝していると思っていました。幸せだと思っていました。しかし1999年6月の出来事からやっと、私は本当に深い感謝を感じるようになりました。
1999年6月6日の朝、出勤前に出かける準備をしていた時、重い脳卒中を起こしました。私が起こした脳卒中の性質を考えると、私が生き残ったのが奇跡で、さらに驚いたことに私が昏睡状態に陥らなかったことだと、2人の医者が私に言いました。私は体の右側の機能を全て失いましたが、不思議なことに、私ははっきりと話し、考えることができました。影響を受けたのは、発話能力や思考力をつかさどる脳の部分だったにもかかわらず、なぜこういうことが可能なのか、医者たちにも分からなかったのです。私の発話能力と思考力が守られたのは、神様の愛の力についての、個人的な体験を他の人に分かち合うためだと、はっきりと解っています。
私のスピリチュアル・ファミリーに入る決心を初めは嫌がり、疑い、そしてDivine Motherへの私の献身が理解できなかった娘は、私が脳卒中を起こした日、ブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバーにいらっしゃった、Divine Motherに連絡せざるを得ないと感じました。Divine Motherは娘に心配しないようにとおっしゃり、娘は慰められました。Divine Motherは私に電話での一対一のセッションを与えてくださり、私は安らかな気持ちと愛情に満たされました。ハワイにお帰りになった際に、Divine Motherは病院まで何度もお見舞に来てくださいました。私と一緒に瞑想なさり、私のために貴重なマントラを唱え、私の心と病室を神様の愛情と光で満たしてくださいました。Divine Motherの前で、愛情と喜びしか感じませんでした。
リハビリ病院では、恐れや怒り、絶望でいっぱいの多くの脳卒中の犠牲者を見ました。病院の心理学者が私に会いに来て、怒りや落ち込みを少しでも感じるかと聞きました。そういう風に感じるのが自然なことだと彼女は言いました。そのことについて、少し考えてから、私の心の中に神様がいらっしゃるので、恐れも、怒りも、落ち込みもないと答えるしかなかったのです。彼女は私を見つめて、私が心穏やかだと感じると言い、そして、「あなたには、私は必要ではありません」と言いました。他の患者が経験したことを目の当たりにするにつれて、私はどれほど神の愛の力によって救われたかが解りました。
病院から家に帰った時、私は全介助を必要としました。私の保険は約1か月の在宅ケアを払ってくれました。援助を使い果たしたら、私はどうするのか、家族がどのように対処できるのか分かりませんでしたが、Divine Motherは既に心配しないようにとおっしゃったので、私は心配しませんでした。医療保険が利かなくなった時、Divine Motherがスピリチュアル・ファミリーに私を手伝うように頼んでくださいました。私の美しい兄弟姉妹たちから、驚くほどの愛情が溢れてきました。Divine Motherは皆の心をたくさんの愛で満たされ、Divine Motherの聖なる愛が、とても素晴らしい形で、彼らを通して私へ流れてきました。彼らは、寛大な開いた心で来てくれて、食事を準備したり、家の簡単な修理をしたり、できる限りあらゆる面で私を手伝ってくれました。私の全てのニーズに毎日応えるように、彼らはスケジュールを立ててくれました。
さらに幸いなことに、Divine Motherは私が行きたいだけ、瞑想の集まりに行くことを許してくださいました。それで、私は1週間に4回瞑想に行き始めました。私がセッションに出席できるように、スピリチュアル・ファミリーは交通手段を提供してくれました。Divine Motherの家にいるのはとても素晴らしいことです......その愛情を感じることも、Divine Motherの子供たちと一緒にいられることも。私の必要なことを全て満たしてくださり、Divine Motherに非常に感謝しています。以前知りもしなかった多くのメンバーも含めて、スピリチュアル・ファミリーと親密で愛情のこもった関係を築くことができました。私は仕事と家族であまりに忙しかったので、彼らのことを知る機会さえなかったのです。彼らは、私が小さい子供として願っていた兄弟姉妹です。私はとても恵まれています。
ある夜、スピリチュアル・ファミリーの兄弟姉妹の数人が私の家にいた時、私の血圧が非常に高くなっていました。娘は心配していたので、医者に電話をして、医者は私にもっと薬を飲むべきだと言いました。私は心の中でこれ以上薬を飲みたくないと感じました。私はスピリチュアル・ファミリーに、私と一緒に瞑想するようにお願いし、彼らはそうしてくれました。私はマントラを唱えて、Divine Motherの美しい顔が私に微笑んでいるのを見ました。安らぎと喜びを感じました。その後、私の息子が私の血圧を測った時、26 mmHg以上正常値まで下がっていました。それ以降、血圧には何の問題もありません。
スピリチュアル・ファミリーが私を手伝いに来始めてから、娘は彼らがどんなに美しいか解り始めたのです。私がグループに加わるのに対して娘が持っていた最初の抵抗感にもかかわらず、彼女は彼らの溢れるほどの愛情と思いやりに非常に心を動かされました。神様が娘にどのようになってほしいか、つまり無私無欲で愛情深くあることを、彼らから学んでいるという手紙をDivine Motherに書きました。Divine Motherとスピリチュアル・ファミリーへの献身に対しての、娘の懸念に悩まされていたので、私にとってそれは本当に奇跡で喜ばしいことでした。今彼女はこの美しい道を理解し敬意を示していると感じます。
ある日、瞑想していた時、私は自分の母親が私を呼んでいる声を聞きました。母はずっと、とても不幸せで、ひどい痛みがあり、彼女が10年以上前に亡くなった時、私たちの間にまだ多くの未解決の問題が残っていました。しかしながら、彼女の声は本物そのもので、優しくて感じのいい声でした。母は幸せだと分かり、私はこの道に入ってから、毎日、母のためにマントラを唱えていたので、私は彼女のために正しいことをしていたと、母が分かってくれたような気がしました。私と母は魂の世界では和解したと感じ、もう母に対して怒りも恨みも感じません......愛だけが残っています。
脳卒中を起こした直後、私の神経科医の一人が、体の動きが改善することを期待しないようにと話しました。彼は、私に残りの人生を車椅子で過ごさなくてはならないだろうと言いました。しかし、徐々にある程度の体の機能と体力を取り戻し、現在杖で歩き、多くのことを一人でできるようになりました。しかし、最も重要なことは身体状態の改善ではありませんでした。自分の身体的改善について、私はとても感謝していますが、何よりも感謝しているのは、私が体験した精神的な変化です。私の心の中の気づきは、信じられないほどです。今、私は神の偉大な愛を個人的に経験したと、心から言うことができ、この経験なしには、このような驚異的な精神的成長ができなかったので、この経験をしてとても幸せで、感謝しています。神様、神様の愛にとても感謝しております。私の命を救ってくださっただけではなく、生まれ変わらせてくださいました