愛を見いだすこと
レーン・ナカムラ

時々夢のように感じますが、私の人生の中でこんなにはっきりと目が覚めているように感じたことはありません! 以前、神様は私にとってただの言葉でした。空の上の、ある父親という抽象概念で、その父親に気に入られるように、私たちは彼の規則を守らなければなりませんでした。これは、まるで私の人生そのものでした。行儀よくすれば、罰せられません。良いことをすれば、愛されます。しかし神様に関して、私が解るようになったのは、神様が私たち全員を無条件に愛していらっしゃることで、私はそれを実際に体験したのです。
私は、まだ子供だった頃、Divine Motherにお会いしました。Divine Motherの前に座ったまさにその瞬間から、私はDivine Motherの聖なる愛を感じることができました。ただDivine Motherのお側にいることが、私がその時まで経験しなかった安全と安らぎの気持ちを与えてくれました。Divine Motherがまさにいい瞬間に私たちの人生に現れてくださったので、私はいつもこれらの瞬間を大切にするでしょう。その時まで、私は脅迫と精神的、肉体的虐待が横行する家族の中で生きていました。私たちは、強固な意志と抑えきれない怒りで家族を従えさせる、高圧的な父親を恐れて暮らしていました。父親に口答えをしたり、その行動に疑問を持つことなど絶対考えられませんでした。そうするのは父の爆発的な気性と激怒の怒りを招くに違いないからです。父よりも大声で怒鳴る人はいませんでした。誰もそうする勇気がありませんでした。
一方では、母は私たちが成長する過程で、私たちが必要とした愛をくれました。しかし母も父を恐れて、彼に立ち向かうことはできなかったのです。その代わり、母は4人の子供を自分の味方にしました。私たちは母の松葉杖となりました。しかし、私たち全員は、自分自身を助けるには弱すぎて、まして、お互いを助けることなどできませんでした。結局、私たちは自分たちの機能不全の暮らし方さえ気が付きませんでした。今振り返って見れば、私たちは、ただ自分の置かれた状況に仕方なく身を任せ、ただ最善を尽くして頑張ろうとしていたように思われます。ほとんどの家族と同様に、私たちは変わった癖がありましたが、Divine Motherにお会いするまで、私たちはどれほどお互いを無知な行為でひどく傷付けあっていたか解りませんでした。Divine Motherは私たちの心を開き、私たちが生きていた、品位を損なった人生が見えるように、新たな見る目を与えてくださいました。
それ以来の私の経験は、次第に自信と自尊心が高まり、ならびに家族や他人への慈悲の気持ちが深まりつつあるということです。私がずっと抑えていた感情を全て話させ、墓まで持って行くと思った、過去の暗い秘密を打ち明けさせたことによって、Divine Motherは私自身を発見するように助けてくださいました。Divine Motherにお会いするたびに、私は気持ちが少しずつ軽くなっていきました。私の過去の全ての「ごみ」の負担が軽くなるにつれて、神様の愛が私の心を満たしました。
Divine Motherの聖なる愛と指導のおかげで、私は自分の過去の痛みに直面できました。私は以前、自分は大丈夫だと思っていたのです。4人きょうだいの末っ子として、私は家族の赤ん坊で、両親から、特に母から、誰よりも愛されたと思っていました。私の兄や姉たちは私に比べてずっとひどく扱われていたので、私は文句を言えたでしょうか? しかしDivine Motherは、私が自分の本当の気持ちと感情を家族のメンバーの前で打ち明けるように、安全な環境をつくってくださり、私は話しているうちに、その長年私がずっと感じていたことを思い出しました。私は成長の過程で幸せではありませんでした。私がもらった条件付きの愛は、ありとあらゆるわなと操作が付いていたので、 私はそれを嫌悪しました。私に愛情を注ぐことは、ひどく扱われていたきょうだいから、私を遠ざけただけでした。家族の中の不公平さを見て、ただ皆が平等に扱われ、愛されて欲しかったのですが、残念なことに、これはめったに起こらなかったので、私はひどい罪悪感を持ちました。兄と姉たちが、あれほどの虐待を受けたり、放置されていたとき、どうやって私が可愛がってもらうことを喜ぶことができたでしょうか? この不公平さを埋め合わせるため、私は責任を持って、「いい子」になろうとしました。皆が私を誇りに思うように、私は学校、美術、そしてスポーツで優秀であろうと、自分自身にプレッシャーをかけました。私は、皆を喜ばせようと躍起になっていましたが、そうすることで自分を見失ってしまいました。
このように何年間か過ごした後、26歳になった私は自分が一体何が欲しいのか、物事に対してどう感じているのかさえ解らないことに間もなく気付きました。私は、まだ両親ときょうだいを喜ばせようとしていたのでしょうか? 私は自分を見失っていましたが、Divine Motherが私を自分の中の神様に戻るように導いてくださいました。Divine Motherが私に自分のことを話すように言われて、そして私がそれを家族に分かち合うにつれて、私は少しずつ自分が一体誰なのか、はっきりと自覚し始めました。この話し合いによって、私は家族一人一人がそれぞれの苦難に耐えていたことも発見し、家族への思いやりの気持ちが今まで以上に増しました。私たちは皆できる限りベストを尽くして、家族の中で行われていた全ての虐待の裏には、発見されるのをただ待ち続けていた愛があったのです。この経験は、私を自分自身に正直になるようにさせて、どんなに醜いにもかかわらず、自分に否定してきた全ての感情を経験する自由を私に与えてくれました。その中の一つの感情は激しい怒りでした。父親の中に見た、そして私は絶対に自分は持つまいと誓った、激怒そのものが、私の中にもさらけ出されました。私は初めてこれを経験した時、打ち砕かれました。父親のようにならないことこそが私のアイデンティティーで、その瞬間に彼から切り離されていた唯一のものを失いました。しかしDivine Motherは、私たちは皆幅広い感情を持っていて、それを抑制するのは健康的ではないと、私が理解できるように助けてくださいました。そしてこの気付きによって、私はこのことに直面することができました。
結局、重要なことは、Divine Motherの心から私の心へ流れてくる神様の恩寵です。Divine Motherの愛を通して、私は自分の生活において、変化という多くの奇跡を体験することができました。こうして座ってこの文章を書いていると、Divine Motherは私と一体になっていると自分の心の中で分かるので、涙が流れてきます。私は以前より幸せで、もっと自信を持つようになり、自分を尊重できるようになりました。家族全員も同様に大きな変化を遂げて、より親密さと愛情と尊敬を互いに持つようになりました。私の父は随分変わりました。Divine Motherは私たち家族の皆にしたように、父と多くの時間を過ごし、たくさんの愛情を注いで、気遣ってくださいました。父の極端な発作的な激怒は消え去りました。Divine Motherは、私たちにどうやって父の虐待的な行為を我慢したり、服従するのをやめればいいか、教えてくださいました。私は父と家族全員がこの道を歩んでいることにも感謝します。私たちの心の中の神様に対する愛によって、私たちは皆変わるように、そして破壊的な行為から解放されるように大変意欲的でした。健康的で前向きで、愛情に溢れた成長を経験するのは、非常に気持ちが高揚します。もし、このような奇跡的な変化が私の家族の中で起こり得るとしたら、全ての人々にもこのような変化が可能だという、溢れるほどの希望を私に与えてくれます。そしてDivine Motherが、シュリ・ラーマクリシュナの光を世界中に届けられるにつれて、神様の愛を必要とする世の中の家族が、神様の愛を経験して受け取ることができるという希望も、与えてくれます。
私は、まだ子供だった頃、Divine Motherにお会いしました。Divine Motherの前に座ったまさにその瞬間から、私はDivine Motherの聖なる愛を感じることができました。ただDivine Motherのお側にいることが、私がその時まで経験しなかった安全と安らぎの気持ちを与えてくれました。Divine Motherがまさにいい瞬間に私たちの人生に現れてくださったので、私はいつもこれらの瞬間を大切にするでしょう。その時まで、私は脅迫と精神的、肉体的虐待が横行する家族の中で生きていました。私たちは、強固な意志と抑えきれない怒りで家族を従えさせる、高圧的な父親を恐れて暮らしていました。父親に口答えをしたり、その行動に疑問を持つことなど絶対考えられませんでした。そうするのは父の爆発的な気性と激怒の怒りを招くに違いないからです。父よりも大声で怒鳴る人はいませんでした。誰もそうする勇気がありませんでした。
一方では、母は私たちが成長する過程で、私たちが必要とした愛をくれました。しかし母も父を恐れて、彼に立ち向かうことはできなかったのです。その代わり、母は4人の子供を自分の味方にしました。私たちは母の松葉杖となりました。しかし、私たち全員は、自分自身を助けるには弱すぎて、まして、お互いを助けることなどできませんでした。結局、私たちは自分たちの機能不全の暮らし方さえ気が付きませんでした。今振り返って見れば、私たちは、ただ自分の置かれた状況に仕方なく身を任せ、ただ最善を尽くして頑張ろうとしていたように思われます。ほとんどの家族と同様に、私たちは変わった癖がありましたが、Divine Motherにお会いするまで、私たちはどれほどお互いを無知な行為でひどく傷付けあっていたか解りませんでした。Divine Motherは私たちの心を開き、私たちが生きていた、品位を損なった人生が見えるように、新たな見る目を与えてくださいました。
それ以来の私の経験は、次第に自信と自尊心が高まり、ならびに家族や他人への慈悲の気持ちが深まりつつあるということです。私がずっと抑えていた感情を全て話させ、墓まで持って行くと思った、過去の暗い秘密を打ち明けさせたことによって、Divine Motherは私自身を発見するように助けてくださいました。Divine Motherにお会いするたびに、私は気持ちが少しずつ軽くなっていきました。私の過去の全ての「ごみ」の負担が軽くなるにつれて、神様の愛が私の心を満たしました。
Divine Motherの聖なる愛と指導のおかげで、私は自分の過去の痛みに直面できました。私は以前、自分は大丈夫だと思っていたのです。4人きょうだいの末っ子として、私は家族の赤ん坊で、両親から、特に母から、誰よりも愛されたと思っていました。私の兄や姉たちは私に比べてずっとひどく扱われていたので、私は文句を言えたでしょうか? しかしDivine Motherは、私が自分の本当の気持ちと感情を家族のメンバーの前で打ち明けるように、安全な環境をつくってくださり、私は話しているうちに、その長年私がずっと感じていたことを思い出しました。私は成長の過程で幸せではありませんでした。私がもらった条件付きの愛は、ありとあらゆるわなと操作が付いていたので、 私はそれを嫌悪しました。私に愛情を注ぐことは、ひどく扱われていたきょうだいから、私を遠ざけただけでした。家族の中の不公平さを見て、ただ皆が平等に扱われ、愛されて欲しかったのですが、残念なことに、これはめったに起こらなかったので、私はひどい罪悪感を持ちました。兄と姉たちが、あれほどの虐待を受けたり、放置されていたとき、どうやって私が可愛がってもらうことを喜ぶことができたでしょうか? この不公平さを埋め合わせるため、私は責任を持って、「いい子」になろうとしました。皆が私を誇りに思うように、私は学校、美術、そしてスポーツで優秀であろうと、自分自身にプレッシャーをかけました。私は、皆を喜ばせようと躍起になっていましたが、そうすることで自分を見失ってしまいました。
このように何年間か過ごした後、26歳になった私は自分が一体何が欲しいのか、物事に対してどう感じているのかさえ解らないことに間もなく気付きました。私は、まだ両親ときょうだいを喜ばせようとしていたのでしょうか? 私は自分を見失っていましたが、Divine Motherが私を自分の中の神様に戻るように導いてくださいました。Divine Motherが私に自分のことを話すように言われて、そして私がそれを家族に分かち合うにつれて、私は少しずつ自分が一体誰なのか、はっきりと自覚し始めました。この話し合いによって、私は家族一人一人がそれぞれの苦難に耐えていたことも発見し、家族への思いやりの気持ちが今まで以上に増しました。私たちは皆できる限りベストを尽くして、家族の中で行われていた全ての虐待の裏には、発見されるのをただ待ち続けていた愛があったのです。この経験は、私を自分自身に正直になるようにさせて、どんなに醜いにもかかわらず、自分に否定してきた全ての感情を経験する自由を私に与えてくれました。その中の一つの感情は激しい怒りでした。父親の中に見た、そして私は絶対に自分は持つまいと誓った、激怒そのものが、私の中にもさらけ出されました。私は初めてこれを経験した時、打ち砕かれました。父親のようにならないことこそが私のアイデンティティーで、その瞬間に彼から切り離されていた唯一のものを失いました。しかしDivine Motherは、私たちは皆幅広い感情を持っていて、それを抑制するのは健康的ではないと、私が理解できるように助けてくださいました。そしてこの気付きによって、私はこのことに直面することができました。
結局、重要なことは、Divine Motherの心から私の心へ流れてくる神様の恩寵です。Divine Motherの愛を通して、私は自分の生活において、変化という多くの奇跡を体験することができました。こうして座ってこの文章を書いていると、Divine Motherは私と一体になっていると自分の心の中で分かるので、涙が流れてきます。私は以前より幸せで、もっと自信を持つようになり、自分を尊重できるようになりました。家族全員も同様に大きな変化を遂げて、より親密さと愛情と尊敬を互いに持つようになりました。私の父は随分変わりました。Divine Motherは私たち家族の皆にしたように、父と多くの時間を過ごし、たくさんの愛情を注いで、気遣ってくださいました。父の極端な発作的な激怒は消え去りました。Divine Motherは、私たちにどうやって父の虐待的な行為を我慢したり、服従するのをやめればいいか、教えてくださいました。私は父と家族全員がこの道を歩んでいることにも感謝します。私たちの心の中の神様に対する愛によって、私たちは皆変わるように、そして破壊的な行為から解放されるように大変意欲的でした。健康的で前向きで、愛情に溢れた成長を経験するのは、非常に気持ちが高揚します。もし、このような奇跡的な変化が私の家族の中で起こり得るとしたら、全ての人々にもこのような変化が可能だという、溢れるほどの希望を私に与えてくれます。そしてDivine Motherが、シュリ・ラーマクリシュナの光を世界中に届けられるにつれて、神様の愛を必要とする世の中の家族が、神様の愛を経験して受け取ることができるという希望も、与えてくれます。