新たな始まり
バル・バレンタイン

私が初めてDivine Motherにお会いしたのは、1990年10月、46歳の時でした。私の夫のピーターがDivine Motherにお会いしたのは、1990年5月ホノルルにいた時でした。オーストラリアに帰国した時、彼はDivine Motherのことを話してくれました。彼の態度が以前とあまりにも変わっていたので、私はDivine Motherにお会いしたくて、彼にしてくださったこと、そしてその結果、私と家族のためにしてくださったことに感謝したかったのです。
私の周りの慣れていた支持が崩れていく中、私は頑張り続けようとしていて、その頃、私の人生は混乱と苦しみそのものでした。両親は亡くなり、実家の農場は売られ、私の健康状態がひどくなり、そしてあんなに一生懸命努力してきた政治家としてのキャリアにやりがいを見出せないことに気が付きました。最も重要なことは、この衝撃的な時期の真っただ中に、私がいつも信じて支え、そして愛してきた、22年間も結婚していた夫が、数年間二重生活をしていた事実に直面しなければならなかったのです。私は悲嘆に暮れて疲れ果て、自分自身と家族を襲った出来事にひどく傷付きました。
今になって分かりますが、その時まで、人生は理にかなわないときがたくさんありましたが、することや役割、そして達成しようとすることが山ほどありました。 ただ前に進めるように、外の世界で、巻き込まれて、没頭する、気をそらすもの。今振り返ってみると、その当時私はどんなに孤独で怖かったかが、よく分かるようになりました。私はいつも他人を喜ばせよう、良い仕事をしよう、一生懸命働き、善良であろうとして、私の希望通り、私が一番いいと感じた通りに物事が運ばないと全部自分のせいだと思いました。私が何か間違ったことをしたか、努力が足りなかったかに違いない。私は何を間違っていたのか? なぜ全てがこんなに悪くなったのか? 私は一生懸命良い妻と母であろうとし、家族のために良い生活を築くのを助けようと懸命に努力してきました。何も理にかなわず、私の心はひどく痛んでいました。
Divine Motherと一緒に過ごした1週間は私の人生を完全に変えました。生きて、愛し、安心と安らぎを感じ、そして世界を完全に新しく見るように、私に再生をもたらした、新たなスタートでした。Divine Motherにお会いした時、私は完全に愛され、安全に感じ、ただDivine Motherと一緒にいたかったのです。Divine Motherは世界中の誰よりも私を愛して、分かってくださると感じました。Divine Motherは、私に話して、一緒に瞑想してくださり、私はDivine Motherといると、とても安らぎを感じました。Divine Motherに心を奪われ、この愛が膨らむにつれて、自分の中にさらなる喜びを発見しました。Divine Motherのことを思い、Divine Motherの聖なる愛がいつも私たち皆へ流れ込むのを感じるとき、愛と喜びの涙が私の目に浮かんできます。
今振り返ってみると、以前も、私の人生の荒涼としていた時期に、自分の限界まできて、心の中へ向いて神様に助けを求めたとき、Divine Motherの聖なる愛を感じたことがあったと分かります。1990年10月のある朝、Divine Motherの食卓でDivine Motherと一緒に座っていたのをとても鮮明に思い出します。Divine Motherは私とお話しをなさっていました。Divine Motherの言葉が分からなかったときもあり、そして後でDivine Motherも、私のアクセントが分かりにくいと口にされたと、誰かに言われましたが、魂と愛は心から心へ通じ合うものです。Divine Motherが食卓から立ち上がり、私のコーヒーカップにコーヒーを注ぎ足してくださったその瞬間に、ここが私の全人生において私を包んで支えてきた愛の源だと、私の存在の一部なので、決して疑ったことがない認識で解りました。
Divine Motherは私たちに、心の中でDivine Motherを知るようにとおっしゃいました。Divine Motherは、私たちを私たちの神聖な内なる自己へ連れ戻すための指導者です。1992年以来、私はDivine Motherの無条件で聖なる愛を感じる機会がありました。これは特に1997年3月、私は混乱と否認のせいで過去を見たくないとき、私が諦めないで頑張るように、切実に必要としていた勇気と安心感を与えてくれました。Divine Motherは私がそこまで行って、見て、それから自由になるように、私と一緒に一歩一歩、歩いてくださいました! 私の人生が展開し、気付きが高まり続けるにつれて、この愛の贈り物の計り知れないほどの重要さがますます大きくなります。
私の人生と親密な人々との関係を見ると、私と愛する者たちが、外の世界に完全に夢中になり、充実した人生を送ることも互いに愛を表すこともできず、どんなに孤独で迷っていたかが見えるようになりました。私の結婚生活は表面上普通でしたが、深い所では辛くて傷つけられるような結婚で、主人はあまりにも多くの秘密を持っていたので、本当に親しくなることは無理だったと認められるようになりました。Divine Motherの聖なる愛は、非難するのではなく、むしろ理解するために、私の家族の歴史を見させ、どのように皆があまりにも心を閉ざしていて、孤独であるので、家族の行為の鎖が世代から世代に引き継がれるかを見えるようにさせてくださいました。こうしているうちに、自分自身、夫、子供、そして両親に対しての、また皆のための、さまざまな悲しみ、痛み、そして怒りに直面する必要があると分かりました。神様の恩寵によって、このことは私たち皆のために、こんなにより深い理解、そして愛情と思いやりをもたらしてくれました。その上、神様の愛はいつも自分の中にあると分かっているので、今は多くの喜びと生きる上に自由な気持ちがあり、そして見捨てられるという恐れがなくなりました。
私たちの子供たちの発育期に、親子関係が不十分だったと私が気付いて、私とピーターは自分たちの関係だけではなく、家族も立て直しています。夫婦として今までないほど幸せです。私たちの間の壁が落ちて取り除かれ、私たちは、これほどの喜びと支持をもたらす、共有の精神的基盤のある結婚に喜びを感じています。私たちは娘たちの気持ちを尊重することを学んでいて、私たちに包み隠さずに物事を言うように勧めています。このようなより安心できる環境において、彼女たちはよく応えていて、家族として今までないほどに親密になっています。
今は、Divine Motherが見せて与えてくださったツール[1]を使って、内なる自己に基づいて、神様を第一にして、毎日生きています。過去において、「幸せな家庭」の結果をあまりにも望んだために、私はあまりにもイネイブラー[2]と支配者であり、愛ということは、自分と他人に対しての尊重だと解りませんでした。今他の人との交流において、私はもっと明確に物事を言うように努力しているので、誤解が少なくなりました。私が転んだとき、確かにある古い癖はなかなかなくならないということに気付き......自分をあまり責めないで、そのことをDivine Motherに捧げ、Divine Motherの聖なる愛に安心して、感謝しながら前へ進みます。Divine Motherとお会いする前の人生はどうだったかが分かるし、今私が感じる愛と喜びも分かっているので、必要とする自分自身への確信は全て自分の中にあります。
私の人生に起こった全ての変化に対してDivine Motherにどんなにお礼を言っても言い尽くせません。私は心の中で喜びで歌って、踊っています。毎日全ての恩寵に神様を賛美し、神様に感謝しています。Divine Mother、Divine Motherの無条件で聖なる愛と、そして私を自分の心の中へ向き直させてくださり、ありがとうございます。今までないほど私は生き生きし、喜びと感謝を感じています。Divine Motherと一緒にいる機会を与えられたのは、聖なる愛と恩寵の最大限の贈り物です。私の最も深い望みは、Divine Motherが、ここで今の瞬間に生きるというこの美しい生き方を探し求めている世界へ、この純粋で聖なる愛を照らしていらっしゃるとき、Divine Motherをありとあらゆる方法で支えることです。
私の周りの慣れていた支持が崩れていく中、私は頑張り続けようとしていて、その頃、私の人生は混乱と苦しみそのものでした。両親は亡くなり、実家の農場は売られ、私の健康状態がひどくなり、そしてあんなに一生懸命努力してきた政治家としてのキャリアにやりがいを見出せないことに気が付きました。最も重要なことは、この衝撃的な時期の真っただ中に、私がいつも信じて支え、そして愛してきた、22年間も結婚していた夫が、数年間二重生活をしていた事実に直面しなければならなかったのです。私は悲嘆に暮れて疲れ果て、自分自身と家族を襲った出来事にひどく傷付きました。
今になって分かりますが、その時まで、人生は理にかなわないときがたくさんありましたが、することや役割、そして達成しようとすることが山ほどありました。 ただ前に進めるように、外の世界で、巻き込まれて、没頭する、気をそらすもの。今振り返ってみると、その当時私はどんなに孤独で怖かったかが、よく分かるようになりました。私はいつも他人を喜ばせよう、良い仕事をしよう、一生懸命働き、善良であろうとして、私の希望通り、私が一番いいと感じた通りに物事が運ばないと全部自分のせいだと思いました。私が何か間違ったことをしたか、努力が足りなかったかに違いない。私は何を間違っていたのか? なぜ全てがこんなに悪くなったのか? 私は一生懸命良い妻と母であろうとし、家族のために良い生活を築くのを助けようと懸命に努力してきました。何も理にかなわず、私の心はひどく痛んでいました。
Divine Motherと一緒に過ごした1週間は私の人生を完全に変えました。生きて、愛し、安心と安らぎを感じ、そして世界を完全に新しく見るように、私に再生をもたらした、新たなスタートでした。Divine Motherにお会いした時、私は完全に愛され、安全に感じ、ただDivine Motherと一緒にいたかったのです。Divine Motherは世界中の誰よりも私を愛して、分かってくださると感じました。Divine Motherは、私に話して、一緒に瞑想してくださり、私はDivine Motherといると、とても安らぎを感じました。Divine Motherに心を奪われ、この愛が膨らむにつれて、自分の中にさらなる喜びを発見しました。Divine Motherのことを思い、Divine Motherの聖なる愛がいつも私たち皆へ流れ込むのを感じるとき、愛と喜びの涙が私の目に浮かんできます。
今振り返ってみると、以前も、私の人生の荒涼としていた時期に、自分の限界まできて、心の中へ向いて神様に助けを求めたとき、Divine Motherの聖なる愛を感じたことがあったと分かります。1990年10月のある朝、Divine Motherの食卓でDivine Motherと一緒に座っていたのをとても鮮明に思い出します。Divine Motherは私とお話しをなさっていました。Divine Motherの言葉が分からなかったときもあり、そして後でDivine Motherも、私のアクセントが分かりにくいと口にされたと、誰かに言われましたが、魂と愛は心から心へ通じ合うものです。Divine Motherが食卓から立ち上がり、私のコーヒーカップにコーヒーを注ぎ足してくださったその瞬間に、ここが私の全人生において私を包んで支えてきた愛の源だと、私の存在の一部なので、決して疑ったことがない認識で解りました。
Divine Motherは私たちに、心の中でDivine Motherを知るようにとおっしゃいました。Divine Motherは、私たちを私たちの神聖な内なる自己へ連れ戻すための指導者です。1992年以来、私はDivine Motherの無条件で聖なる愛を感じる機会がありました。これは特に1997年3月、私は混乱と否認のせいで過去を見たくないとき、私が諦めないで頑張るように、切実に必要としていた勇気と安心感を与えてくれました。Divine Motherは私がそこまで行って、見て、それから自由になるように、私と一緒に一歩一歩、歩いてくださいました! 私の人生が展開し、気付きが高まり続けるにつれて、この愛の贈り物の計り知れないほどの重要さがますます大きくなります。
私の人生と親密な人々との関係を見ると、私と愛する者たちが、外の世界に完全に夢中になり、充実した人生を送ることも互いに愛を表すこともできず、どんなに孤独で迷っていたかが見えるようになりました。私の結婚生活は表面上普通でしたが、深い所では辛くて傷つけられるような結婚で、主人はあまりにも多くの秘密を持っていたので、本当に親しくなることは無理だったと認められるようになりました。Divine Motherの聖なる愛は、非難するのではなく、むしろ理解するために、私の家族の歴史を見させ、どのように皆があまりにも心を閉ざしていて、孤独であるので、家族の行為の鎖が世代から世代に引き継がれるかを見えるようにさせてくださいました。こうしているうちに、自分自身、夫、子供、そして両親に対しての、また皆のための、さまざまな悲しみ、痛み、そして怒りに直面する必要があると分かりました。神様の恩寵によって、このことは私たち皆のために、こんなにより深い理解、そして愛情と思いやりをもたらしてくれました。その上、神様の愛はいつも自分の中にあると分かっているので、今は多くの喜びと生きる上に自由な気持ちがあり、そして見捨てられるという恐れがなくなりました。
私たちの子供たちの発育期に、親子関係が不十分だったと私が気付いて、私とピーターは自分たちの関係だけではなく、家族も立て直しています。夫婦として今までないほど幸せです。私たちの間の壁が落ちて取り除かれ、私たちは、これほどの喜びと支持をもたらす、共有の精神的基盤のある結婚に喜びを感じています。私たちは娘たちの気持ちを尊重することを学んでいて、私たちに包み隠さずに物事を言うように勧めています。このようなより安心できる環境において、彼女たちはよく応えていて、家族として今までないほどに親密になっています。
今は、Divine Motherが見せて与えてくださったツール[1]を使って、内なる自己に基づいて、神様を第一にして、毎日生きています。過去において、「幸せな家庭」の結果をあまりにも望んだために、私はあまりにもイネイブラー[2]と支配者であり、愛ということは、自分と他人に対しての尊重だと解りませんでした。今他の人との交流において、私はもっと明確に物事を言うように努力しているので、誤解が少なくなりました。私が転んだとき、確かにある古い癖はなかなかなくならないということに気付き......自分をあまり責めないで、そのことをDivine Motherに捧げ、Divine Motherの聖なる愛に安心して、感謝しながら前へ進みます。Divine Motherとお会いする前の人生はどうだったかが分かるし、今私が感じる愛と喜びも分かっているので、必要とする自分自身への確信は全て自分の中にあります。
私の人生に起こった全ての変化に対してDivine Motherにどんなにお礼を言っても言い尽くせません。私は心の中で喜びで歌って、踊っています。毎日全ての恩寵に神様を賛美し、神様に感謝しています。Divine Mother、Divine Motherの無条件で聖なる愛と、そして私を自分の心の中へ向き直させてくださり、ありがとうございます。今までないほど私は生き生きし、喜びと感謝を感じています。Divine Motherと一緒にいる機会を与えられたのは、聖なる愛と恩寵の最大限の贈り物です。私の最も深い望みは、Divine Motherが、ここで今の瞬間に生きるというこの美しい生き方を探し求めている世界へ、この純粋で聖なる愛を照らしていらっしゃるとき、Divine Motherをありとあらゆる方法で支えることです。